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光に潤う 清水寺夜の特別拝観 / 京都
3月10日(土)〜3月20日(火祝)特別協賛 京都東山花灯路
3月24日(土)〜4月8日(日)
18時半(開門)〜21時半(受付終了)
夜間拝観料/大人400円 小・中学生200円

清水寺には
春・夏・秋と年に三回
夜の特別拝観があります。

境内に1500本の桜の木があり、
桜の名所としても人気のスポットです。
(^(エ)^)b 池ノ水鏡ニ ハラリトオチル桜ノ花ビラニ
キュン!トシマスネ。

清水の舞台からの眺望が素晴らしいことに
間違いはありません。
・・・ところで
随求堂(ずいぐどう)に
入られたことはあるでしょうか。

ここでは足もとさえ見えない
闇の中を大数珠と触覚や聴覚を頼りに
裸足でめぐる
「胎内めぐり」が体験できます。
(特別拝観時間前の16時受付終了 拝観料100円)

随求菩薩の体内に見立てた
隋求堂の下を光なしに数珠を
頼りに出口に向かって進む中で、
生命誕生前の真っ暗みの中に
戻ったものとして再び
自分の命の光を見つけよう
というものです。


仏教では人間の感覚能力を
六入(ろくにゅう/眼耳鼻舌身意)といいます。
眼で見て、耳で聴き、鼻で嗅ぎ、
舌で味わい、身体で触れる。
それを意「識」して感じ取るので六入。
しかし目にし、手に触れられなければ
信じられないというのは赤ん坊で
およそ想像力がないともいいます。
そしてさらに教養が災いして
疑い深くなることも
不幸のはじまりともいわれます。

これがどちらも高まると
五蘊盛苦(ごうんじょうく)と
いう言葉の通りになります。
五蘊盛苦とは人間の体や心の中で欲望が
燃え盛る苦しみをいいます。

五蘊(ごうん)とは人間の感覚能力であり、
また人間の存在をなりたたせる構成要素の
集まりのことです。

この5つの集まりをそれぞれ
色(しき/物質や肉体をさす)
受(じゅ/そこにモノがあることを感じる作用)
想(そう/外界の印象をカタチに結ぶ作用)・
行(ぎょう/意志やその他の心の作用)
識(しき/認識する作用)
といいます。

精神や心の働きである「受・想・行・識」を
肉体である「色」がつなぐのです。
床をなぞる足の裏や数珠をたどる指の感覚を
頼りにすることで、
承知していたはずの自分の五蘊の
危うさに気づいてドキリとします。

無意識に成り立っていた
「受・想・行・識・色」のありがたさを
実感するせいか、
「胎内めぐり」を体験した後の
ライトアップは、さらに目に心に
艶やかに映るように感じます。
お時間に余裕があるようでしたら
お試しいただくのもいいかも知れません。

■場所:音羽山 清水寺
■交通:JR 京都駅から京都交通局(市バス)
206系統・東山通北大路バスターミナル行き、
100系統清水寺祇園銀閣寺ゆきで五条坂下車、
徒歩10分ほか
くわしくは↓をどうぞ。
http://www.kiyomizudera.or.jp/access/

■注意:夜間特別拝観は17時半に一度
閉門してから行われます。

さて、
詩人 長田 弘さんの詩に
「なくてはならいもの」というものが
あります。
とても美しい詩だと思うので
『世界はうつくしいと(みすず書房)』から
詩を抜粋しますね。(以下抜粋)


なくてはならないものの話をしよう
なくてはならないものなんてない。
いつもずっと、そう思ってきた。
所有できるものはいつか失われる。
なくてはならないものは、けっして
所有することはできないものだけなのだと。
日々の悦びをつくるのは、所有ではない。

草。水。土。雨。日の光。猫。
石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
何一つ、わたしのものはない。
空気の澄み切った日の、午後の静けさ。
川面の輝き。葉の繁り。樹影。
夕方の雲。鳥の影。夕星(ゆうずつ)の輝き。
特別なものなんてない。大切にしたい。
(ありふれた)ものがあるだけだ。
素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。
真夜中を過ぎて、昨日の続きの本を読む。
「風と砂塵のほかは、何も残らない」
砂漠の歴史の書には、そう記されている。
「すべて人の子はただ死ぬためにのみ

この世に生まれる。
人はこちらの扉から入って、
あちらの扉から出てゆく。
人の呼吸の数は運命によって数えられている」
この世に在ることは、切ないのだ。
そうであればこそ、戦争を求めるものは、
なによりも日々の穏やかさを恐れる。
平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。
本を閉じて、目を瞑(つむ)る。
おやすみなさい。すると、
暗闇が音のない音楽のようにやってくる。

※括弧内・フェルドゥスィ-『王書』(岡田恵美子訳)より



長クナリマシタネ・・・オツキアイニ感謝。Love! 阿部トモ


2012/02/29